六義園

名園を独り占めにせず、

分かち合う。

和歌の世界が広がる、

開かれた回遊の庭へ。

六義園

赤煉瓦の塀沿いをしばらく歩く。正門をくぐると、街のざわめきが一枚の幕を隔てたように遠ざかります。
ここは、和歌に詠まれた景色を地に写し取った庭。池をめぐる小径を一歩進むごとに、目の前の景が静かに表情を変えていきます。
かつては一族だけが愛でた私的な名園が、今は誰にでも開かれている。
その来歴を思いながら歩くうち、張りつめていた気持ちが、一首ごとにやわらいでいくはずです。

赤煉瓦の塀沿いをしばらく歩く。正門をくぐると、街のざわめきが一枚の幕を隔てたように遠ざかります。ここは、和歌に詠まれた景色を地に写し取った庭。池をめぐる小径を一歩進むごとに、目の前の景が静かに表情を変えていきます。かつては一族だけが愛でた私的な名園が、今は誰にでも開かれている。その来歴を思いながら歩くうち、張りつめていた気持ちが、一首ごとにやわらいでいくはずです。

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トキメクもの

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言葉と景色が、ひとつに重なる。

ひとつに重なる。

  • 八十八の景色
    Eighty-eight named views

    名がつけられた「八十八の景色」

    園内には、和歌や中国の古典に詠まれた名勝になぞらえ、八十八の景観に名が付けられています。紀州和歌の浦の景色を写した一帯や、万葉集・古今集に詠まれた歌枕の数々。立て札に記された一首を読んでから顔を上げると、池や築山が、ひとつの物語をまとって立ち上がってくる。庭を築いた柳沢吉保は、詩歌をこよなく愛した文化人でもありました。言葉が景色に意味を与える、その不思議な感覚に、眠っていた感性が呼び覚まされていくはずです。

  • 大泉水の水面
    Another garden in the water mirror

    水鏡に映る「もうひとつの庭」

    中の島を抱く大泉水は、六義園の中心です。風のない朝には、水面が空と木々を映し取り、上下にふたつの庭が広がります。岸辺に低くアーチを描く蓬莱島の石組は、岩崎家の時代に据えられたと推定され、不老不死の仙人が住むとされる神仙島になぞらえた、縁起のよいしつらえです。庭のそこかしこに込められた願いに気付くと、何気ない一画の見え方も変わってきます。揺らぐ水鏡をしばらく眺めていると、流れる時間までゆるやかになっていくのを感じることでしょう。

  • つつじ茶屋
    The azalea teahouse, left as old wood

    古木のまま遺された「つつじ茶屋」

    岩崎家が園内各所に建てた数々の茶屋は、その多くが関東大震災や戦火で失われました。そのなかで、奇跡的に難を免れ、唯一現存するのがつつじ茶屋です。曲がりくねったツツジの古木を、そのまま柱と梁に用いた、ほかにない造り。まっすぐな材で整えるのではなく、自然が育てた形をそのまま活かしています。木肌の節やうねりに目を凝らすと、百年以上をこの庭で過ごしてきた木そのものの時間と、それを慈しんだつくり手の眼差しに気付かされます。

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おすすめの過ごし方

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一首を片手に、

和歌の庭を歩く。

  • 01

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    立て札を頼りに、
    八十八境をたどる

    正門を入ったら、まずは大泉水を時計回りにめぐってみてはいかがでしょうか。要所に置かれた立て札には、その景観の由来となった和歌や故事が記されています。意味を知ってから眺めると、同じ一本の松、同じ一枚の水面が、まったく違って見えてくる。和歌に詠まれた名所を一つひとつ探しながら歩くうち、いつしか歌人たちと同じ景色を分かち合っているような心地になるはずです。同じ景色がいく通りにも見えてくる愉しさが、こわばった頭をやわらかくしてくれます。

    立て札を頼りに、八十八境をたどる
  • 02

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    吹上茶屋で、
    水音とともに一服する

    歩き疲れたら、大泉水に面した吹上茶屋へ。抹茶と季節の上生菓子をいただきながら、池を渡る風や鳥の声に耳を澄ませてみてください。この茶屋は、もとは岩崎家が熱海の別荘から移した茶室でしたが、損壊や焼失ののち東京都に再建され、今に伝わっています。同じ水辺の景色を、かつての主もこうして眺めていたのかもしれません。スマホの通知を切って、ただ水面を見つめる。それだけの時間が、思いのほか深く呼吸を整えてくれるはずです。

    吹上茶屋で、水音とともに一服する
  • 03

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    藤代峠に登り、
    庭を一望する

    園内でもっとも高い築山、藤代峠へ。標高わずか三十五メートルほどの頂ですが、登りきると庭の全景が眼下に広がります。先ほど自分が歩いた小径や池が、ひとつの絵のように見渡せる。地上をめぐる視点と、見下ろす視点。ふたつの眺めを行き来したとき、平坦な土地に山を築き、池を掘って和歌の世界を立ち上げた造り手の意図が、そっと腑に落ちてくるのではないでしょうか。

    藤代峠に登り、庭を一望する
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その場所の物語

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一族だけの名園を、

街に手渡した日。

六義園が生まれたのは、元禄十五年(1702年)。
五代将軍・徳川綱吉の側用人であった柳沢吉保が、七年の歳月をかけて和歌の世界を地に写し取った庭です。
小石川後楽園と並び江戸の二大庭園と称えられました。しかし明治維新の混乱のなか、庭は荒れるにまかせられます。
これを近隣の土地ごと買い取り別邸を営んだのが、三菱の創業者・岩崎彌太郎でした。
買い集めた土地は、駒込から巣鴨に広がる12万坪にも及びます。彌太郎の没後は弟・彌之助が庭園を復旧し、往年の景観をよみがえらせました。
やがて庭は第三代・久彌の代へと受け継がれ、新婚の一時の住まいとなり、その後も岩崎家の駒込別邸として愛されていきました。
そして1938年、久彌はこの庭を東京市へ寄贈します。荒れ果てた庭園を岩崎家が蘇らせ、半世紀を経て、今度は街の人びとへ。
和歌の世界はいまも変わらず、門をくぐる人それぞれの前に広がっています。

六義園が生まれたのは、元禄十五年(1702年)。五代将軍・徳川綱吉の側用人であった柳沢吉保が、七年の歳月をかけて和歌の世界を地に写し取った庭です。小石川後楽園と並び江戸の二大庭園と称えられました。しかし明治維新の混乱のなか、庭は荒れるにまかせられます。これを近隣の土地ごと買い取り別邸を営んだのが、三菱の創業者・岩崎彌太郎でした。買い集めた土地は、駒込から巣鴨に広がる12万坪にも及びます。彌太郎の没後は弟・彌之助が庭園を復旧し、往年の景観をよみがえらせました。やがて庭は第三代・久彌の代へと受け継がれ、新婚の一時の住まいとなり、その後も岩崎家の駒込別邸として愛されていきました。そして1938年、久彌はこの庭を東京市へ寄贈します。荒れ果てた庭園を岩崎家が蘇らせ、半世紀を経て、今度は街の人びとへ。和歌の世界はいまも変わらず、門をくぐる人それぞれの前に広がっています。

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岩崎家の人物紹介

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名園を抱え込まず、

公へとひらいた人。

岩崎 久彌

岩崎久彌

(三菱第三代社長)

久彌は、新婚の約二年をこの園内の邸で過ごしました。やがて彼は、庭をめぐる広大な所有地の大半を手放していきますが、この名園だけは守り抜きました。そして守り抜いたうえで、独り占めにすることをよしとせず、東京市へ寄贈したのです。優れたものは、囲い込むのではなく、正しく守りながら分かち合う。見せかけの豊かさよりも、公に資する本物の価値を選んだ久彌の品格が、塀の内に広がるこの静けさを、今も支え続けています。

門を出れば、

街が少しだけ詩に近づく。

和歌の心が宿る庭を歩いたあとは、
見慣れた街並みのなかにも、ふと一首が浮かんでくるかもしれません。

言葉が景色を変え、景色が心を動かす。
その循環を思い出させてくれる場所が、にぎやかな街なかに、惜しみなくひらかれて待っています。

庭のすぐ東には、同じく久彌ゆかりの東洋文庫があります。
言葉が織りなす庭から、書物の集う世界へ。
人々に学びと憩いをひらいた久彌の足跡を、ひと続きにたどってみるのもいいかもしれません。

アクセス

六義園(りくぎえん)

東京都文京区本駒込6-16-3

  • JR山手線・東京メトロ南北線「駒込」駅下車 徒歩7分

  • 都営三田線「千石」駅下車 徒歩10分

インフォメーション

開園時間:

09:00〜17:00(入園は午後4時30分まで)

※イベント開催期間やゴールデンウィークなどは、開園時間が延長される場合があります。

休園日:

年末・年始(12月29日〜翌年1月1日)

入園料:

  • 一般 300円

  • 65歳以上 150円

  • 小学生以下、および都内在住・在学の中学生 無料

  • ※20名以上の団体は一般240円/65歳以上120円

  • ※みどりの日(5月4日)、都民の日(10月1日)は入園無料

駐車場:

なし

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